ゲームクリエイター

【ゲームの夜明け】ファミコンの歴史を調査

数日前の私

ファミコンって、名前くらいは聞いたことあるけど…

どんなゲームだったのか、あんまり分かってないな…

みっつ

お恥ずかしながら、数日前の私はこんな状態でした。

ゲーム業界にいながらファミコンについて全くの無知。

これは由々しき事態やな〜と思ったので、今回改めて色々と調査いたしました!!

・・・ってことで…

こんにちは!

兼業クリエイターのみっつです。

最近はゲームの歴史を調べることにハマってます。

今回はゲーム機の夜明け!

これが無かったらゲームは語れない!

でお馴染みの『ファミリーコンピュータ』

通称『ファミコン』

彼の歴史について調べてみたので、分かったことを共有したいと思います。

今回は下記の書籍を参考にしてるので、ご興味ある方は読んでみて下さい!

ファミコンソフト売上げランキング

順位タイトルメーカー本数(万本)
1スーパーマリオブラザーズ任天堂681
2スーパーマリオブラザーズ3任天堂384
3ドラゴンクエストIⅡ そして伝説へ・・・エニックス380
4スーパーマリオワールド任天堂355
5ドラゴンクエストIV導かれし者たちスクウェア310
6スーパーマリオブラザーズ2【書き換え・ディスク】コ任天堂265
7ゴルフ任天堂246
8ドラゴンクエストII 悪霊の神々エニックス241
9ベースボール任天堂235
10麻雀任天堂213
11プロ野球ファミリースタジアムナムコ205
12バレーボール任天堂198
13Tetrisピーピーエス181
14ゼルダの伝説任天堂169
15マリオブラザーズ、任天堂163
16リンクの冒険任天堂161
17燃えろ!!プロ野球ジャレコ158
18エキサイトバイク任天堂157
19テニス任天堂156
20サッカー任天堂153
21ドクターマリオ任天堂153
22F1レース任天堂152
23忍者ハットリ君ハドソン150
24ドラゴンクエストエニックス150
254人打ち麻雀任天堂145
26スパルタンX任天堂142
27プロレス任天堂142
28ファイナルファンタジー1スクウェア140
29プロ野球ファミリースタジアム’87年度版ナムコ130
30ゼビウスナムコ128
31ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境バンダイ125
32ドラゴンボール 神龍の謎パンダイ125
33ドラえもんハドソン115
34ロードランナーハドソン110
35ファミコンジャンプ 英雄列伝バンダイ110
36パルテナの鏡任天堂109
37プロ野球ファミリースタジアム’88年度版ナムコ109
38キン肉マンマッスルタッグマッチバンダイ105
39高橋名人の冒険島ハドソン105
40メトロイド任天堂104

1位はスーパーマリオブラザーズの681万本!!

2位のスーパーマリオブラザーズ3の384万本から、2倍近く引き離しての1位…

いや〜、当時の熱狂が売上本数に表れてますね〜

ファミコンの概要

  • 発売日:1983年7月15日
  • 本体価格:1万4800円
  • ゲーム機世代:第3世代

この記事を書いてるのが2021年の7月ですから、今から38年前って事になりますね!

私は今年30歳なんで、そこまで遠い存在じゃなかったってのに驚きです。

ファミコン発売の序章〜インベーダーショック〜

https://www.mitsurog.com/wp-content/uploads/2021/07/インベーダー-001.png

突然ですが、『スペースインベーダー』って知ってます?

今はゲームセンターの運営とかをやってる『タイトー』が作ったゲームです。

アーケードゲームといえば、スペースインベーダーって言われるくらい、当時はめちゃくちゃ流行ったらしいです。

スペースインベーダーが流行りすぎたがゆえに起こった事件、それが

『インベーダーショック』です。

今のゲーム文化があるのは、間違いなく『スペースインベーダー』のおかげです。

このゲームがあったからこそ、『ドンキーコング』が生まれ、ファミコンが生まれました。

この事件なくしてファミコンは語れませんので、ざっくりと解説していきます。

ドンキーとファミコンとインベーダー【3つの関係を説明】

そもそも、ファミコンとドンキーってどう関係してるの?

ましてやインベーダーって関係なくない?

こんな人もいると思うので説明します。

ファミコン開発に当たって、

『これくらいのクオリティを目指そう!』っていう目標を作りました。

その基準に上がったのが、アーケード版で稼働していた『ドンキーコング』です。

そしてこのドンキーコングが生まれるに当たって、インベーダーゲームが関係してます。

なので、インベーダーゲームの説明抜きにファミコンは語れないってわけです。

スペースインベーダーの登場【ファミコン誕生5年前】

https://www.mitsurog.com/wp-content/uploads/2021/07/スクリーンショット-2021-07-21-6.44.12.png

スペースインベーダーが生まれたのが1978年。

ファミコンが生まれる5年前です。

インベーダーはゲームセンターのゲームを遊ぶ感じで、100円を入れてプレイします。

よく昭和の映像とかで、喫茶店でゲームする人が取り上げられますよね。

当時はこのゲームがめちゃくちゃ流行りすぎて、色んな事件が起きました。

インベーダーが凄すぎて起こった事件

  • 100円が筐体(きょうたい)に入らず故障
  • 売上金の重さで車が傾く
  • ゲームやりたさにカツアゲが横行
  • 小銭を糸で吊るして不正を働く小学生が出てくる
  • ゲームセンターへの出入りを禁止する学校が出てくる

まぁこんな感じで、当時のインベーダーゲームは爆発的なヒットだったらしいです。

面白さのあまり若者はゲームセンターに入り浸り、小学生は学校終わりにソッコーでゲームセンター…

親御さんからの反感は凄まじいものだったそうです笑

そして世間の大人から

『ゲームセンターは悪!』『非行少年の溜まり場!』

みたいな感じでやり玉に上げられ、警察が動く始末…

警察がゲームセンターを調査する様子がマスコミによって拡散。

ゲームセンターの評判は一気に地に落ちました…

これがいわゆる、『インベーダーショック』ってやつです。

年表で見るインベーダーショックの概要

1978年6月:スペースインベーダー稼働

1979年6月2日:全日本遊園協会が「インベーダータイプ・ゲームマシン運営自粛宣言」を発表

■自粛宣言の内容

  • 管理者のいない場所に設置しない
  • 15歳未満は保護者同伴が必要
  • 18歳未満は午後11時以降の入場禁止
  • ゲームの結果で景品を提供してはいけない

1979年7月:警察庁が全国で実態調査を開始

1979年12月:街からインベーダー筐体が消える

以下、1980年(昭和55年)の警察白書より一部抜粋

昭和53年10月ごろから若者の間で流行し始めたインべーダーゲームは、瞬く間に日本中にブームを巻き起こしたが、少年がゲーム代欲しさに盗みを行うなどの少年非行を誘発するに及び社会問題化するに至った。

このため警察は、7月、全国いっせいに実態調査を行うとともに関係業界に自主規制を要請し、また、学校、教育委員会、PTA等の関係機関、団体と連携を密にして少年非行防止に努めたが、夏を過ぎると猛威を振るったインべーダーブームも下降線をたどり、最盛期約30万台を数えたゲーム機も、年末にはほとんど街頭から姿を消し、ブームもうたかたのように消え去った。

昭和55年 警察白書『2.悪化を続ける風俗環境への対応>(1)風俗営業等の取締リ>ウ.つかの間の夢インベーダーゲーム』 より

盗みは生まれる、警察動く、1年でブームが去る…

まさに激動の昭和ww

これがインベーダーショックのあらましって感じですかね〜

【インベーダーの後釜?】ドンキーコング誕生の布石

スペースインベーダーは、良くも悪くもゲーム文化の基礎になったと思ってます。

ゲームセンターを取り締まる風営法だって、1979年時点ではまだ、『自粛要請』って感じで、法律的な強制力はありませんでした

しかし1984年に法案は可決され、今の体制っぽくなってます。

法律を変えちゃうくらいスペースインベーダーの影響力はデカかった…

そりゃ、新しい文化の1つくらい出来ますよね笑

みっつ

インベーダーが無かったら、ゲームっていう遊び文化も流行らなかっただろな〜って思います。

インベーダーゲーム機は街中から消えましたが、その後釜を狙って各社が色んなゲームを開発しました。

その渦中に生まれたゲームが、『ドンキーコング』です。

ファミコン開発のベンチマーク〜ドンキーコング誕生〜

上で説明したとおり、インベーダーショックが起こったことでインベーダーゲーム機はなくなりました。

そしてポスト・インベーダーゲームの座をめぐり、各社が色んなゲームを開発しました。

当時稼働したゲーム

1979年

  • ギャラクシアン(ナムコ)
  • モナコGP(セガ)
  • 平安京エイリアン(電気音響)
  • シェリフ(任天堂)

1980年

  • サムライ(セガ)
  • ディープスキャン(セガ)
  • スペースファイアバード(任天堂)
  • パックマン(ナムコ)
  • ラリーX(ナムコ)
  • ムーンクレタス(日本物産)
  • クレイジークライマー(日本物産)

1981年

  • スカイスキッパー(任天堂)
  • ドンキーコング(任天堂)
  • スクランブル(コナミ工業)
  • ジャンピューター(アルファ電子)
  • ギャラガ(ナムコ)

1982年

  • ドンキーコングJR.(任天堂)
  • ポパイ(任天堂)
  • ペンゴ(任天堂)
  • ザクソン(セガ)

ナムコの『ギャラクシアン』や『パックマン』、セガの『サムライ』、そして任天堂の『ドンキーコング』…

令和の今にも語り継がれる名作達は、この時代に生まれたゲームだったんですね!!

ゲーム用パソコンが流行る

アーケードゲームが流行ってた時代、じわじわとブームになりつつあったのがパソコンです。

パソコン自体はインベーダー登場前の1977年頃からあったんですが、高価すぎたため全然流行ってませんでした。

しかしインベーダーブームが去る1979年頃、安価なパソコンが出回り始めました。

その代表的なパソコンが、コモドール社の『VIC-20』です。

その価格はなんと、299.5ドル。

日本円に換算すると約3万円くらいですかね。

当時のパソコンは10万円〜20万円以上してましたから、それと比べたらめっちゃ安いですね。

年表でみる当時のパソコンたち

1977年

  • PET2001(コモドール)・・・759ドル≒7万6,000円
  • AppleⅡ(アップル)・・・1,298ドル≒約13万円
  • TRS- 80(ダンディ)・・・599ドル≒約6万円

1978年

  • MB-6880(日立)・・・18万8,000円

1979年

  • アタリ400(アタリ)・・・549ドル≒約5万5,000円
  • アタリ800(アタリ)・・・999ドル≒約10万円
  • T199/4(テキサスインスツルメンツ)・・・1,195ドル≒約12万円
  • VIC-20(コモドール)・・・299.5ドル≒約3万円
  • PC-8001(NEC)・・・16万8,000円
  • MZ-80(シャープ)・・・19万8,000円

1980年

  • VIC-1001(コモドール)・・・6万9,800円

1981年

  • PC8801(NEC)・・・22万8000円
  • PC6001(NEC)・・・8万9,800円

1982年

▼ホビー用パソコン

  • FM-7(富士通)・・・12万6,000円
  • MZ2000・・・21万8,000円

▼ゲーム用パソコン

  • M5(ソード/タカラ)・・・4万9,800円
  • ぴゅう太(トミー)・・・5万9,800円
  • コモドール64(コモドール)・・・595ドル≒約6万円

1983年

  • SC-3000(セガ)・・・2万9,800円
  • PV-2000(カシオ計算機)・・・2万9,800円
  • RX-78GUNDAMU(バンダイ)・・・5万9,800円
  • 各社のMSX規格

【ゲーム用パソコンとは?】カートリッジが挿せるPC

そもそもゲーム用パソコンってなんすか??

今で言う、ゲーミングPCゲーム的なやつ?

『ゲーム用パソコン』というのは、 キーボードにカートリッジが挿せるようなパソコンの事です。

M5やコモドール64のような、ゲーム用パソコンと呼ばれるパソコンには、カートリッジを差し込める作りになってました。

当時のパソコンは演算処理には優れてましたが、描画には全然不向きでした。

当初は文字だけ表示する前提で作ってますからね(笑)

しかしゲーム用パソコンは絵を表示するのに特化した作りで、ゲームすること前提の作りをしてます。

そのため、カートリッジが挿せたり、TVにつないで出力する前提だったりと、、、

まさしくゲームをするためのパソコン、『ゲーム用パソコン』だったってわけです。

みっつ

まぁつまり、ゲーミングPCですね(笑)

カートリッジを挿してゲームをやる…

おぉ、なんだかファミコンっぽくなってきましたね〜

ゲームソフトメーカーの誕生

パソコンでゲームをやる時代が訪れ、多くの家電メーカー・おもちゃメーカーがゲーム用パソコン市場に参入していきました。

そんな流れもあり、パソコン用にゲームを開発する企業が表れました。

それが今日のゲーム業界に君臨する、ゲームソフトメーカー達です。

当時誕生した主なソフトメーカー
  • 1978年:ハドソン
  • 1978年:光栄(後のコーエー)
  • 1981年:日本ファルコム
  • 1982年:エニックスが別事業からゲームに特化
  • 1983年:スクウェアが電気工事会社のソフト開発部門として設立

ハドソン以外は、現在もソフトメーカーとして存続してる企業ですが、最初はパソコン用のゲームを作ってたんですね!

そして、

これからの時代はパソコンだ〜〜〜

って流れが浸透しつつある中、そこにアンチテーゼを唱えた企業があったんですよ…

そう!

それが任天堂です。

【安いゲームを子供たちに!】ファミコン開発に込めた思い

たくさんの企業がパソコン市場に参入する中、任天堂だけは進出しませんでした。

なぜなら任天堂はあくまでも、おもちゃ屋の姿勢を貫いたんです!

われわれはおもちゃを作ってるんです!

おもちゃはってのは、子供たちの手に届いてこそなんです!

だれが5万円もするおもちゃを買いますか!

おもちゃはね、もっと安くなくてはならない!!

※私の妄想ですが、きっとこんな気持だったと思います(笑)

そんな思想の元、次なるゲームを考えました。

そして提案されたのが、

1万円くらいのTVゲームで、アーケードのドンキーコングが遊べるクオリティ

でした。

つまりまとめると、

  • インベーダーショックでゲームセンターの人気が低迷
  • 安価なパソコンでゲームをやる流れがくる

この背景があったからこそ、

アーケードに置いてあるゲームを、パソコンより安い価格で遊べるようにしたい!

っていう開発者の気持ちが生まれ、ファミコンの開発に至ったわけです!!

いや〜〜、、、胸アツ!!!

ありがとう!任天堂の皆様!

任天堂さんは当時から徹底して、ユーザーファースト…

いや、キッズファーストとも言うべきでしょうか…

子供たちのためにゲームを作ってるんだな〜って、心底思います。

コントローラーの仕様を決めたゲーム&ウォッチ

ファミコンのコントローラーがなぜ平面の形をしてるか知ってます?

あれにはゲーム&ウォッチとドンキーコングが深く関係してます。

ゲーム&ウォッチの説明

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ゲーム&ウォッチは1980年に発売された、携帯型のゲーム機です。

当時は電子ゲームって呼ばれてました。

ゲーム&ウォッチには色んな種類があり、私が調べただけでも50種類くらいあります。

https://www.mitsurog.com/wp-content/uploads/2021/07/電子ゲーム-003.jpeg

ここで発売された、マルチスクリーンシリーズの『ドンキーコング』が、コントローラーの形を決める元となりました。

コントローラーの仕様を決めるにあたり、2つの問題点がありました。

それは、スティック使えない問題とその代案です。

スティック使えない問題

当時のTVゲームはコントローラーにジョイスティック型を採用してました。

ファミコンもジョイスティックを検討しましたが、安全性の面でボツにしてます。

ジョイスティック不採用の理由

ファミコンは家庭の居間に置かれる事を想定してました。

しかし、日本の居間はそこまで広くなく、これが居間にあったら邪魔である、との考えがありました。

また、遊び終わって放置されたコントローラーを踏みつけて、怪我や破損の恐れも懸念されました。

このように、

スペースと安全性の面から、ジョイスティック型のコントローラーはボツとなりました。

「スティック型使えないけど、どうする??」

となり、スティック型に変わる案が求められました。

そこで提案されたのが、ゲーム&ウォッチのドンキーコングに使われた十字キーです。

ゲーム&ウォッチを元にコントローラーを試作

早速ゲーム&ウォッチを元にコントローラーを試作、実際に遊んだところ、

めちゃくちゃフィットしたらしいですw

しかもコントローラーを持つ手元を見なくても、ゲームが遊べてる事実に気付きました。

それに、ゲーム&ウォッチを元にコントローラーが作れたら、既にあるノウハウも流用できます。

まとめると、

  • 遊び慣れたゲーム&ウォッチの手触り感
  • 手元を見なくて良い操作性
  • 確立されたノウハウの流用

これらが重なった事で、ファミコンのコントローラーには

平型の十字キーが採用されたってわけです!

ゲームウォッチの流行と、それに移植されたドンキーコング

この二つがなければ、ファミコンのコントローラーは別の形になってたかも知れませんね!

補足:ドンキー以前のゲーム&ウォッチ【単純操作】

ドンキーコング以前のゲーム&ウォッチは、

  • 右ボタン・左ボタン
  • 上ボタン・下ボタン

ってな感じで、操作は2択でした。

しかしドンキーコングは、

  • 画面が2つのマルチスクリーン
  • ボタン四つの操作性

って感じで、一気に情報量が増えました。

そうなるとユーザーはゲーム画面に集中し、ボタン操作は指の感覚で行うようになりました。

これは憶測ですが、当時は手元を見ながらボタン操作をやってるって思ってたんじゃないですかね?

で、いざファミコンの試作でコントローラーを作ってみたら、

「あれ?コントローラー見なくても操作出来んじゃんw」

ってなったのかな〜って思います。

みっつ

コントローラーのブラインドタッチ?って、ゲームに慣れた人なら普通にやってますが、当時はそんな感覚なかったのかもしれませんね。

【ドンキーとゲムヲ】時代の流れが生んだファミコン誕生の布石

インベーダーゲームのヒットで生まれたゲーム文化。

それによって起こった、ゲーム用パソコンの市場と携帯ゲーム機の登場。

そんな時代の中で生まれた、『ドンキーコング』と『ゲーム&ウォッチ』

ファミコン開発のベンチマークとして上げられた、ドンキーコング。

コントローラーの元になった、ゲーム&ウォッチ。

こうやって歴史を振り返ると、ファミコンの誕生は必然だったような気がしますね!!

ファミコンの豆知識

ファミコンは2種類ある

アメリカ版と日本版で違う。 アメリカ版のファミコンは『NES』って名前。

ファミコン本体にキーボードが付く予定だった

ファミコンが発売された時期はPCゲームが流行っていた時期だった。

それに加えて、インベーダーショック等の理由から、ゲームしかできない玩具は世の中の風当たりが良くなかった。

熟考した結果、本体価格を下げるため、キーボードは本体に取り付けず、周辺機器として別売りする方針に至った。

ファミコンのボタンが丸い理由【耐久性UP】

ファミコンは発売直後から、コントローラーが壊れたっていうクレームが頻発した。

原因を調べると、ボタンを斜めから押す『ねじり押し』と呼ばれる現象が発覚。

当初のファミコンのボタンは四角だったので、斜めからの押し込みに弱かった。

そのため、耐久性の向上を狙い、ボタンの形を丸くした。

ファミコンはスティック型の可能性もあった

当時の家庭用ゲーム機のコントローラーは、ジョイスティック型が基本だった。

だが、ファミコンは日本家庭の居間に置かれることを想定していたため、ジョイスティックではなく、十字キーが採用された。

十字キーが採用された理由

  • 日本の居間は狭いからジョイスティックだと邪魔
  • 子供が行き交う居間にジョイスティックがあったら危ない
  • 手元を見ないで平行移動を可能にする必要があった
  • ゲーム&ウォッチを踏襲した形にしたら、意外と手に馴染んだ

ファミリーコンピュータの由来【家族団らん】

前述したとおり、ファミコンは家庭の居間に置かれることを想定して作っていた。

正月はこたつの上に置かれ、孫のゲーム姿を家族で見る。

子供達が友達を家に呼んで、みんなでワイワイとゲームをする。

なんなら両親と一緒に子供とゲームをする…

そんな『家族との団らん』を、ゲーム機を使って実現したいー

このような思いから、『ファミリーコンピュータ』という名前になった。

まとめ:日本のゲーム産業はファミコンから始まった!

ファミコン、、、

知れば知るほど、その凄さがでてきます。

開発陣の思いから、当時の時代背景…

振り返ってみると、本当に紆余曲折あったんだな〜としみじみ感じてます。

ファミコンについてもっと知りたい方は、下記の本を買ってみて下さい!

ではまた!

ABOUT ME
みっつ
CGアニメーター/リガー テクニカルアーティスト(TA)目指して精進中です 都内でゲーム作ってます。